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EF-4Cとは、空軍の正式名称ではなく、レーダーサイト攻撃用に改造された36機のF-4Cに与えられた空軍内での、技術的区分名称とも言えるものである。改修機の初号機は1968年6月に初飛行している。当時ベトナム戦で最大の脅威となっていたソ連製SAMのSA-2ガイドラインのレーダーを妨害し、そのレーダー電波の発信拠点に対レーダーサイトミサイル シュライクを撃ち込む事を目的に、レーダー波の検索、妨害などのECM装置、シュライクミサイルの発射システム、レーダー警戒装置などを追加した型である。1969年から、この嘉手納基地の67th TFSに配備され、続いてヨーロッパのスパンダーレムの部隊に配備が進んだ。但し 総合的に使い勝手が悪かったようで、当初付けられた装置は新しいシステムに交換されてF-4Cとして、ANGに回されたとされる。

↑この機体(ZZ-474)は、ワイルドウィーゼル専用機に改造されたEF-4Cと言われている。
↑この機体(ZZ-437)は、ワイルドウィーゼル専用機に改造されたEF-4Cと言われている。
ZZ-474 (63-7474)

↑ 67th TFSのEF-4Cの多くが、その後インディアナ州空軍113th TFSに移管されたが、このZZ-470は、QF-4Cに改装されたとある。

↑ これも古いEF-4C ブロック16で 67th TFSには、ワイルド・ウィーズルに改装された古いEF-4C型が固まっていた。この機体は、引退後 ドイツの博物館でブルーエンジェルスのマーキングをされて展示されているそうである。C型には珍しくコンバット・カメラ付のD型タイプのレードームを付けている。こうした機体は他にも散見された

↑ 67th TFSが嘉手納基地に配備されたのは1971年5月であるが、その頃は飛行隊毎にテールレターが異なっている時代であり、67th TFSは”ZG”と書かれていた。航空団として”ZZ”に統一されるのは1975年になる。1972年には台湾のCCKに派遣されたり、朝鮮半島に派遣されたりしたが、ベトナムで5月から開始されたラインバッカー作戦の一端を担うべく、1972年12月には、タイのコーラッド空軍基地に派遣されている。ここでは当時北ベトナムの対レーダーサイト、SAMサイト攻撃の任務(ワイルドウィーズル)に付いている。上の2つのイラストは、その際コーラッド空軍基地で機首に書かれた文字と塗装例である。ZG-470の機首の書かれている”RUB'S A DUB DUB TWO MEN IN A TUB"は、18世紀のイギリスの童話から引用されたジョークらしく、本来は風呂桶に入る3人の男なのだが、コックピットをバスタブに例えて2人の男としている。ZG-474の方は、機首に”Brain Damage" つまり脳障害と書かれているが、クルーか機体の方か・・・笑

↑ 1978年下半期に入ると F-4各飛行隊のインシグニアは、一廻り小型化された。それに伴い67th TFSのインシグニアは それまでの丸型から四角形に近い盾型のものに変更されている。↑ 上写真は、1978年9月撮影した当時私にとっては会心のショットである。その頃 200mmレンズしか持っていなかった私にこのような低いポジションで脚上げしているF-4が撮れるチャンスはまれであった。嘉手納R/W05R(CanonAE-1 EF200mm F-8)
ZZ-508 (63-7508)
ZZ-661 (64-0661)
ZZ-675 (64-0675)
ZZ-780 (64-0780)
ZZ-840 (64-0840)
ZZ-447 (63-7447)
1941年にミシガン州で創設された部隊で太平洋戦争時は、P-39/P-38等を使用して ソロモン諸島 ガダルカナル攻防戦 フィリピン侵攻など戦線の殆どに顔を出した歴戦の飛行隊である。朝鮮戦争においてもF-86セーバーで参戦 Mig戦闘機 8機撃墜のハガーストローム少佐などエースを輩出している。1954年に沖縄嘉手納に移動して現在もF-15Cの部隊として元気だ。F-4時代は、18th TFWの中で唯一対防空網撃破を目的とした”ワールド・ウィーズル”を任務としていた部隊で 嘉手納で見かける彼らの翼下のパイロンには度々青い「シュライク対レーダーミサイル」の訓練弾が付いていた。
ZZ-423 (63-7423)
ZZ-574 (63-7574)
ZZ-415 (63-7415)

↑ 恐らく嘉手納18th TFWのファントムの中でも もっとも古い生産番号で、1963年セントルイスのマグダネル工場から最初に戦術戦闘機部隊に出された2機(63-7415、63-7416)の1機であり アメリカ空軍用のファントムの9号機に当たる。同時に出荷された63-7415は、1964年5月にフロリダで事故で落ちているため、初期のF-4Cを代表してこの機体がテキサス州の航空博物館で展示されているそうだ。

ZZ-433 (63-7433)
ZZ-470 (63-7470)
ZZ-478 (63-7478)
ZZ-543 (63-7543)
ZZ-623 (63-7623)
ZZ-757 (64-0757)

F-4Cでワイルド・ウィーゼルタイプEF-4Cに改装された機体は36機だそうで、その内約半数がヨーロッパの西ドイツスパンクダーレム基地の52nd TFW, 残りの半数が当時横田基地に駐留していた374th TFWの80th TFSに配備されたそうで、80th TFSには14機があてがわれ、沖縄に移動の際 そのすべてを67th TFSに移管したそうである。この64-0757もその1機だそうだ。

ZZ-913 (64-0913)

↑ このブロック25のC型は、67th TFSがF-15Cに転換する際に、ハワイ州空軍 199th FISに移動した。

67th TFS
"Fighting Cocks"

↑この機体(ZZ-433)は、インデイアナ州空軍で最後に使われた後、嘉手納基地で保管されたとある。

両翼のパイロンにシュライクミサイルの実弾と胴体後部下にスパローミサイルのこれまた実弾を積んでフライとした67TFSのF-4C(ZZ-433/675)
 青のダミー弾をつけているのは、よく見かけたがこのように実弾をつけて飛ぶ事は、非常に稀で小雨の中 嘉手納R/W23で撮影した友人と私は大喜びした。こう言うチャンスにめぐり合ったのはこれが最初で最後となった。(1977.8) 
アメリカ空軍では、1970年代後半から F-4Eが主力になりつつあり 20mmバルカン砲を持たないF-4Cには、各種レーダー警戒装置/ジャミングポッド/シュライク対レーダーサイトミサイルの搭載能力を持たせて 新たな役割を与えた。下の写真でもフィンのないシュライクミサイルのダミー弾(青色)を搭載した機体が多い。
ZZ-437 (63-7437)
↑ 上写真のF-4C(ZZ-623)は、C型の中でMig-17撃墜を記録した機体である。本機は18th TFWを去り 後にインデアナ州空軍の113rd TFSの所属(HFのテールレター)となった後にインテークベーンにミグキラーマークを書き込まれている。
On 20 May 1967, a North Vietnamese MiG 17 fell victim to F-4C“63-7623"s missiles, and the skills of Major John R. Push Pardo and First Lieutenant Steven Wayne. It was considered one of the longest air-to-air engagements of the Vietnam War. Steven Wayne would later add another MiG 17 to his list for a total of two.
ZZ-672 (63-7672)